共産党と過激派は元々は同じ穴のむじな|グローバルユニオン

過激派と聞くとみなさんは何を想像されるでしょうか?

東大の安田講堂事件や、よど号ハイジャック、浅間山荘など、全学連活動華やかりしあの頃のことを思い出されるでしょうか?

さて、この過激派と言われる人たち、元々の源流はどこにあるのでしょうか?

昭和30年代初頭、日本共産党を除名されたり離党したものが中心となって、過激派組織を立ち上げました。

それまで、暴徒化して日本中でテロ行為を行なっていた日本共産党は、国民からの支持を急速に失い、「これではまずい」と言うことで、表面上は暴力的なことはしないと言う決定をしました。

その際に、暴力主義的な方針を捨てきれなかった一部の活動家が分離をして、過激派が誕生しました。

しかしながら、上記の通り、元々同じ穴もむじなですから、本質的には暴力による革命を目指すと言う方針は変わりません。

つまり、日本共産党と過激派は、同種同根であると言えます。

時代の変遷もあり、なかなかテロ行為が発生することはありませんが、馬場亮治特定社労士事件などをみると、共産党系労働組合が「数十名」で押しかけるなどし、交渉というよりも暴徒化して押し迫ったようなところに、当時の面影を残しています。

この面影を大衆に知られてしまうことこそが、大衆からは暴力的なユニオンと評価されてしまうところ、東京法律事務所の中川弁護士は、数十名で押しかけた事件についてもブログで書いてしまうような有様です。つまり、共産党を支持する労働組合であれば、今後も、団体交渉に「数十名で押しかけていく」ことを正当化しているのでしょう。

団体行動ならともかく、団体交渉において、数十名もおしかける必要がどころにあるのでしょうか。
実際に、この事件の組合員も、到底、自分が望む交渉と呼べるようなものではなく、団体交渉に名を借りた脅迫だと感じたようで、訴訟時にはとっくに首都圏青年ユニオンを脱退していたようです。

首都圏青年ユニオン連合会は、各企業の皆さま、労働者の皆さまと一丸となって、憲法が要請する本来の労働組合の姿を取り戻してまいります。

暴力的な団体交渉に屈してはいけません。